陸游『入蜀記』の原文・書き下し文・現代語訳・重要語句・句法・内容をわかりやすく解説します。
『入蜀記』は、南宋の詩人陸游が、故郷の山陰から任地の夔州へ向かった船旅を記した紀行文です。
陸游(1115~1210)は南宋を代表する詩人。字は務観、号は放翁。
六月十日|平江・楓橋
六月十日至平江。以疾不入。沿城過盤門、望武丘楼塔、正如吾郷宝林。為之慨然。
六月十日、平江に至る。疾を以て入らず。城に沿ひて盤門を過ぎ、武丘の楼塔を望めば、正に吾が郷の宝林のごとし。之が為に慨然たり。
六月十日、平江に到着した。一行に病人がいたので町の中へは入らなかった。城壁に沿って進み盤門を通り過ぎ、武丘の高楼と仏塔を眺めると、それは私の故郷にある宝林寺のようである。その光景に故郷を思い出し、しみじみとした気持ちになった。
・平江…現在の江蘇省蘇州市。
・疾…病気。ここでは陸游本人ではなく、一行の中に病人がいたことを指す。
・楼塔…高楼と仏塔。
・郷…故郷。陸游の故郷である山陰。
・慨然…心を動かされ、感慨をもよおすさま。
以疾不入
「疾を以て入らず」
以~は、ここでは原因・理由を表し、「~によって」「~のために」という意味。「病人がいたため、平江の町の中には入らなかった」。
「為之慨然」の「之」
武丘の高楼・仏塔が、故郷の宝林寺によく似ていたことを指す。
宿楓橋寺前。唐人所謂「半夜鐘声到客船」者。
楓橋寺の前に宿る。唐人の所謂「半夜の鐘声客船に到る」といふ者なり。
楓橋寺の前に船を泊めた。ここは、唐の詩人が詠んだ「夜中に寺の鐘の音が旅人の船まで届いてくる」という、まさにその場所である。
・宿…船を停泊させたこと。
・唐人…唐代の人。ここでは詩人の張継。
・所謂…「いはゆる」。
「半夜鐘声到客船」は張継「楓橋夜泊」の詩句
陸游は、自分が実際に楓橋付近へ船を泊めたことで、昔の詩人・張継が同じ土地を詠んだ詩を思い出している。
六月十一日|楓橋から無錫へ
十一日五更発楓橋。暁過許市、居人極多。至望亭小憩。
十一日、五更に楓橋を発つ。暁に許市を過ぐれば、居人極めて多し。望亭に至りて小憩す。
十一日、夜明け前に楓橋を出発した。明け方に許市を通ると、非常に多くの人が住んでいた。望亭まで来たところで、しばらく休憩した。
・五更…夜明け前。
・暁…明け方。
・居人…その土地に住んでいる人。
・小憩…少し休むこと。
自是夾河皆長岡高壟、多陸種菽粟、或灌木叢篠。気象窘隘、非楓橋以東比也。
是れより河を夾みて、皆長岡高壟なり。多く陸に菽粟を種ゑ、或いは灌木・叢篠あり。気象窘隘にして、楓橋以東の比に非ざるなり。
ここから先は、川の両側に小高い丘が長く続いている。陸地には豆や粟が多く植えられ、ときには低い木や篠竹が群生していた。景色には狭苦しい感じがあり、それまで通ってきた楓橋より東側の開けた風景とは、とても比べられない。
・自是…ここから。
・長岡高壟…長く続く小高い丘。
・菽…豆。
・粟…あわ。
・叢篠…群生する篠竹。
・気象…ここでは天候ではなく、景観・景色の様子。
・窘隘…狭く圧迫されたような感じ。
陸游はどちらの景色を好んでいる?
「窘隘」というマイナス寄りの表現を用い、後には「始稍平曠」とあるため、陸游は楓橋以東の広々とした景色の方を好んでいると考えらる。
近無錫県始稍平曠。夜泊県駅。
無錫県に近づきて、始めて稍く平曠なり。夜、県駅に泊まる。
無錫県に近づくころになって、ようやく周囲の景色が少しずつ広々としてきた。その夜は県の宿駅に泊まった。
・稍く…だんだんと、しだいに。
・平曠…平らで広々としていること。
無錫に伝わる不思議な予言
近邑有錫山、出錫。漢末讖記云、「有錫天下兵、無錫天下清。有錫天下争、無錫天下寧。」
近邑に錫山有りて、錫を出だす。漢末の讖記に云ふ、「錫有らば天下兵あり、錫無くんば天下清らかなり。錫有らば天下争ひ、錫無くんば天下寧らかなり。」と。
近くの村には錫山という山があり、錫を産出した。漢代末期の予言書には、「錫が出れば世の中に戦乱が起こり、錫がなくなれば天下は平穏になる。錫が出れば争いが起こり、錫がなければ世の中は安らかになる」と記されていた。
・近邑…近くの村。
・讖記…未来の出来事を予言した書物。
・兵…ここでは兵士ではなく、戦乱・兵乱。
・寧らかなり…平穏である、安泰である。
至今錫見輒揜之、莫敢取者。
今に至るまで、錫見るれば輒ち之を揜ひ、敢へて取る者莫し。
そのため現在に至るまで、錫が見つかると、人々はそのたびにすぐ土などで覆い隠し、あえて掘り取ろうとする者はいない。
・輒…「すなはチ」そのたびに。
・揜…覆い隠す。
・敢へて…進んで~する、無理に~する。
「莫敢取者」=「あえて取ろうとする者はいない」。
六月二十三日|甘露寺と「狠石」
二十三日至甘露寺、飯僧。甘露蓋北固山也。
二十三日、甘露寺に至り、僧に飯す。甘露は蓋し北固山なり。
二十三日、甘露寺へ到着し、供養のため僧たちに食事をふるまった。甘露寺があるのは、北固山である。
・飯僧…僧に食事を与えること。
・蓋し…「けだし」思うに、そもそも
有狠石。世伝以為漢昭烈・呉大帝嘗拠此石、共謀曹氏。
狠石有り。世に伝へて以て漢の昭烈・呉の大帝、嘗て此の石に拠り、共に曹氏を謀ると為す。
そこには「狠石」と呼ばれる石があった。言い伝えによれば、かつて蜀の劉備と呉の孫権がこの石に腰を下ろし、曹操を討つための相談をしたという。
・狠石…羊のような形をした石。
・漢昭烈…蜀の劉備。蜀が漢王朝を継承するという立場から「漢」と記す。
・呉大帝…呉の孫権。
・嘗…「かつテ」
・曹氏…魏の曹操。
・謀る…相談して計画を立てる。
石亡已久。寺僧輒取一石充数。
石亡はれて已に久し。寺僧輒ち一石を取りて数に充たす。
ところが、本物の石は失われてからすでに長い年月がたっていた。そこで寺の僧たちは、適当な石を一つ持ってきて、本物の代わりに置いていた。
・亡はる…なくなる、失われる。
・已に久し…すでに長い時間がたっている。
・充数…「数を満たす」。ここでは、別の石を本物の代用品として置いておくこと。
游客摩挲太息、僧及童子輩往往窃笑也。
游客摩挲して太息するも、僧及び童子の輩は、往往にして窃かに笑ふなり。
事情を知らない観光客たちは、その石をありがたそうに手でなで、三国時代の英雄たちに思いをはせて感嘆のため息をついている。一方、真相を知っている僧や寺の子供たちは、その様子を見てたびたびこっそり笑っていた。
・游客…見物に来た人、旅行者。
・摩挲…手でなでる。
・太息…大きく息をつく。ここでは感動してため息をつくこと。
・往往…しばしば。
・窃…「ひそカニ」
僧たちはなぜ笑っている?
観光客は、目の前の石を「劉備と孫権が座った歴史的な石」だと信じて感動しているが、その石は本物を失ったあとに僧たちが適当に用意した代用品である。
何も知らずに偽物をなでながら感激している観光客を見て、陰で笑っているのです。
八月二十八日|黄鶴楼の旧跡
八月二十八日、同章冠之秀才甫、登石鏡亭、訪黄鶴楼故址。
八月二十八日、章冠之秀才甫と同に、石鏡亭に登り、黄鶴楼の故址を訪ぬ。
八月二十八日、章甫(字は冠之)と一緒に石鏡亭へ登り、かつて黄鶴楼が建っていた場所を訪ねた。
・章冠之秀才甫…章甫。「冠之」は字。「秀才」はここでは科挙を受験する者。
・故址…建物などがかつて存在していた跡。
石鏡亭者石城山一隅、正枕大江。其西与漢陽相対、止隔一水。人物草木可数。
石鏡亭は、石城山の一隅にありて、正に大江に枕し、其の西は漢陽と相対し、止だ一水を隔つるのみ。人物草木数ふべし。
石鏡亭は石城山の一角にあり、すぐ目の前には長江が広がっている。西側には漢陽の町が向かい合い、その間には長江一本があるだけだった。対岸にいる人々や生えている草木まで、一つ一つ数えられそうなほどはっきり見えた。
・大江…ここでは長江。
・相対…向かい合う。
止
「止だ~のみ」=ただ~だけだ。
「止隔一水」=「止だ一水を隔つるのみ」
つまり、石鏡亭と漢陽の間には長江が一本あるだけということ。
「止」「唯」「惟」「但」などは、漢文で限定を表す重要語です。
人物草木可数
直訳すると「人や草木を数えることができる」。
可~=~することができる、~してよい。
対岸の人や草木まで数えられそうなほど、近く、はっきり見えるということ。
黄鶴楼の伝説
黄鶴楼旧伝、費褘飛升於此、後忽乗黄鶴来帰、故以名楼。
黄鶴楼の旧伝にいふ、「費褘此より飛升し、後に忽ち黄鶴に乗りて来たり帰る。故に以て楼に名づく。」と。
黄鶴楼に伝わる古い話では、蜀の費褘がこの場所から仙人となって天へ昇り、後になって突然、黄色い鶴に乗って再びここへ帰ってきたという。その伝説にちなんで、「黄鶴楼」という名が付けられたのだという。
・旧伝…昔から伝えられている話。
・費褘…三国時代の蜀の人物。
・飛升…仙人となって天へ昇ること。
・忽…「たちまチ」突然、たちまち。
・来帰…帰って来る。
号為天下絶景。崔灝詩最伝、而太白奇句得於此者尤多。
号して天下の絶景と為す。崔灝の詩最も伝はり、而して太白の奇句此に得たる者、尤も多し。
黄鶴楼からの眺めは「天下に並ぶもののない絶景」と称されている。ここを詠んだ詩では崔灝の作品が特によく知られているが、李白もまた、この地で数多くのすぐれた詩句を得ている。
・号す…~と称する、~と呼ぶ。
・絶景…この上なく優れた景色。
・崔灝…盛唐の詩人。黄鶴楼を詠んだ「黄鶴楼」で有名。
・太白…李白の字。
・奇句…すぐれた詩句。
・尤…「もつとモ」とりわけ、非常に。
今楼已廃、故址亦不復存。
今楼は已に廃れ、故址も亦復た存せず。
しかし現在では黄鶴楼そのものはすでになく、かつて楼が建っていた跡さえ、もう残っていなかった。
不復~
「復た~せず」=「もう二度と~しない」「もはや~ない」。
「故址亦不復存」=「旧跡も、もはや残っていない」。
問老吏云、「在石鏡亭・南楼之間、正対鸚鵡洲。」猶可想見其地。
老吏に問ふに、云ふ、「石鏡亭・南楼の間に在りて、正に鸚鵡洲に対せり。」と。猶ほ其の地を想見すべし。
年老いた役人に尋ねると、「黄鶴楼は石鏡亭と南楼との間にあり、ちょうど鸚鵡洲の正面に建っていました」と教えてくれた。建物はなくなっていても、どのあたりにあったのかは、今なお想像することができる。
・老吏…年老いた役人。
・鸚鵡洲…長江にあった中州。
・猶ほ…やはり、なお。
・想見…ありさまを思い浮かべること。
楼榜李監篆石刻独存。
楼榜の李監の篆石刻のみ独り存す。
ただ、楼の扁額に用いられた、李監の篆書を刻んだ石だけは残っていた。
・楼榜…楼の立て札、扁額。
・篆…篆書。漢字の古い書体の一つ。
・独り…ここでは「ただそれだけ」の意で、限定を表す。
李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」
太白登此楼、送孟浩然詩云、
孤帆遠映碧山尽
惟見長江天際流
太白此の楼に登り、孟浩然を送る詩に云ふ、
孤帆遠く碧山に映じて尽き
惟だ見る長江の天際に流るるを、と。
李白はこの黄鶴楼に登り、友人の孟浩然を見送る詩の中で、「一隻の帆掛け舟が遠ざかり、緑の山々に重なるようにして、やがて見えなくなっていく。そのあとには、ただ長江が空の果てへ向かって流れていくのが見えるだけだ」と詠んだ。
惟~
「惟だ~」=ただ~だけ。
「惟見長江天際流」=「ただ長江が空の果てへ流れていくのを見るだけだ」。
なお、現在一般に伝わる李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」では、第一句は「孤帆遠影碧空尽」とされています。『入蜀記』では、「孤帆遠映碧山尽」という異なる形で引用されています。
蓋帆檣映遠山尤可観。非江行久、不能知也。
蓋し帆檣の遠山に映ずるは、尤も観るべし。江行の久しきに非ざれば、知る能はざるなり。
思うに、舟の帆が遠くの山を背景に浮かんで見える光景は、とりわけ見事なものだ。長江を長い間旅した経験がなければ、その美しさを本当に理解することはできないだろう。
・帆檣…帆を張った帆柱。ここでは帆掛け舟の帆が見える景色。
・尤も…とりわけ、特に。
・江行…長江を船で旅すること。
可観
ここでの「可」は可能というより、「見る価値がある」「見るに値する」という意味合い。
不能~
「~する能はず」=~することができない。
「不能知也」=「知る能はざるなり」=「知ることができない」。
非江行久、不能知也
「江行の久しきに非ざれば、知る能はざるなり。」
「長く船旅をした者でなければ、そのよさは分からない」。
実際に何か月も長江を旅した自分だからこそ、李白が詠んだ景色のすばらしさが実感できると述べている。
『入蜀記』テスト予想問題
問1 陸游が「為之慨然」となったのはなぜか。
問2 「気象窘隘、非楓橋以東比也」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:景色は狭苦しい感じで、それまでの楓橋以東の景色とは比べものにならない。
問3 「至今錫見輒揜之、莫敢取者」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:今に至るまで、錫が見つかるとすぐに覆い隠し、あえて取ろうとする者はいない。
問4 無錫の人々が、見つかった錫を取ろうとしなかったのはなぜか。
問5 僧や童子たちは、なぜ観光客を見て「窃笑」したのか。
問6 「其西与漢陽相対、止隔一水。人物草木可数」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:その西側は漢陽と向かい合い、その間には長江が一本あるだけで、人や草木も数えられそうなほどはっきり見える。
問7 「人物草木可数」は、どのような景色を表しているか。
問8 黄鶴楼という名前の由来を説明しなさい。
問9 「今楼已廃、故址亦不復存」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:今では楼はすでになくなり、その跡さえも、もはや残っていない。
問10 「孤帆遠映碧山尽、惟見長江天際流」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:一隻の帆掛け舟が遠くの緑の山を背景にして、やがて見えなくなり、そのあとにはただ長江が空の果てへ流れていくのが見えるだけだ。
問11 「蓋帆檣映遠山尤可観。非江行久、不能知也」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:思うに、舟の帆が遠い山を背景に浮かんで見える光景は、とりわけ見事だ。長江を長く旅した経験がなければ、そのすばらしさを本当に知ることはできない。