「四面楚歌」の続きです。垓下の囲みを破った項王は、わずかな兵とともに烏江(長江の渡し場)までたどり着きます。烏江の亭長は江東へ渡って再起するよう勧めますが、項王はそれを断り、最後の戦いに向かいます。
本文(書き下し文・現代語訳)
亭長のすすめと、項王の答え
白文於是項王乃欲東渡烏江。
書き下し是に於いて項王乃ち東して烏江を渡らんと欲す。
現代語訳そこで項王は、東へ向かって烏江を渡ろうと考えた。
白文烏江亭長、檥船待。
書き下し烏江の亭長、船を檥して待つ。
現代語訳烏江の宿場の長が、船を岸につけて待っていた。
- 亭長
- 宿場の長。
- 檥
- 船を岸につけて出発の用意をする。
白文謂項王曰、「江東雖小、地方千里、衆数十万人、亦足王也。
書き下し項王に謂ひて曰はく、「江東小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人あり、亦王たるに足るなり。
現代語訳亭長は項王に言った、「江東は小さいとはいえ、土地は千里四方、人々は数十万人おります。王となるにも十分なところです。
- 江東
- 長江の東の地。項王が兵を挙げたところ。
- 方千里
- 千里四方。
- 雖~
- 「~と雖も」逆接。「~としても」(仮定)にも「~けれども」(確定)にもなるが、ここは事実を述べているので確定で、「江東は小さいけれども」と訳す。
烏江を渡った江東の地は、項王がはじめに兵を挙げた場所です。
白文願大王急渡。
書き下し願はくは大王急ぎ渡れ。
現代語訳どうか大王様、急いでお渡りください。
- 願~
- 「願はくは~(命令形)」どうか~してください。
白文今独臣有船。漢軍至、無以渡。」
書き下し今独り臣のみ船有り。漢軍至るも、以て渡ること無からん。」と。
現代語訳今は私だけが船を持っております。漢軍がやって来ても、渡る手だてはないでしょう。」と。
- 独
- 「独り~のみ」ただ~だけ。
白文項王笑曰、「天之亡我、我何渡為。
書き下し項王笑ひて曰はく、「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。
現代語訳項王は笑って言った、「天がこの私を滅ぼすのだ。どうして渡ったりするものか。
この「笑」には、死ぬことを天命と受け入れた、落ち着いた気持ちが表れています。(亭長への感謝、苦笑い、覚悟を決めた晴れやかさなど、読み取り方は一つに定めにくい笑いです。)
なお、項王にとって烏江を渡ることは、戦いに敗れて、かつて叔父の項梁とともに挙兵した故郷の江東へ逃げ戻ることを意味します。
白文且籍与江東子弟八千人、渡江而西。今無一人還。
書き下し且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西せり。今一人の還るもの無し。
現代語訳それに、私はかつて江東の若者八千人とともに長江を渡り、西へ攻め上った。今、生きて帰る者は一人もいない。
- 籍
- 項王の名(姓は項、名は籍、字は羽)。自分のことを名で言っている。
- 子弟
- 若者たち。
白文縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。
書き下し縦ひ江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見えん。
現代語訳たとえ江東の父兄たちが気の毒に思って私を王にしてくれても、私はどんな顔をして彼らに会えようか。
- 王
- ここでは動詞「王とす」王にする。
- 見
- 「まみゆ」お目にかかる。
- 縦~
- 「縦ひ~とも」たとえ~としても。
白文縦彼不言、籍独不愧於心乎。」
書き下し縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧ぢざらんや。」と。
現代語訳たとえ彼らが何も言わなくても、私はどうして心の中で恥じずにいられようか、いや、恥じずにはいられない。」と。
- 独
- 「独り~んや」の形で反語を強める。「どうして~だろうか」の意。
白文乃謂亭長曰、「吾知公長者。吾騎此馬五歳、所当無敵。
書き下し乃ち亭長に謂ひて曰はく、「吾公の長者なるを知る。吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。
現代語訳そこで亭長に言った、「あなたが徳のある人だということはよくわかった。私はこの馬に五年乗ってきたが、向かうところ敵なしであった。
- 長者
- 徳のある、すぐれた人。
- 公
- 烏江の亭長を指す。
白文嘗一日行千里。不忍殺之。以賜公。」
書き下し嘗て一日に行くこと千里。之を殺すに忍びず。以て公に賜はん。」と。
現代語訳一日に千里を駆けたこともある。この馬を死なせるのはしのびない。だから、あなたに与えよう。」と。
項王が亭長を「長者」と呼んだのは、漢軍の報復を恐れず、窮地の自分を救おうとしてくれたその気持ちに感じ入ったからです。
愛馬の騅を手放したのは、ここで死ぬと決めたからです。
項王の最期
白文乃令騎皆下馬歩行、持短兵接戦。
書き下し乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持して接戦す。
現代語訳そこで騎兵たちをみな馬から下ろして歩かせ、刀剣を手に敵と斬り合った。
- 短兵
- 刀や剣など、短い武器。
馬から下りたのは、死を覚悟して最後の戦いをするためです。
白文独籍所殺漢軍、数百人。項王身亦被十余創。
書き下し独り籍の殺す所の漢軍、数百人なり。項王の身も亦十余創を被る。
現代語訳項王ひとりで討ち取った漢兵は数百人にのぼった。項王の体もまた、十か所あまりの傷を受けた。
- 創
- きず。
白文顧見漢騎司馬呂馬童。曰、「若非吾故人乎。」
書き下し顧みて漢の騎司馬呂馬童を見る。曰はく、「若は吾が故人に非ずや。」と。
現代語訳ふり返ると、漢の騎兵隊長の呂馬童が目に入った。項王は言った、「おまえは昔からの知り合いではないか。」と。
- 故人
- 古くからの知り合い。
- 非A乎
- 「Aに非ずや」Aではないか。
白文馬童面之、指王翳曰、「此項王也。」
書き下し馬童之に面き、王翳に指して曰はく、「此れ項王なり。」と。
現代語訳呂馬童は項王から顔をそむけ、王翳に指さして言った、「これが項王だ。」と。
- 面
- ここでは「そむく」と読み、「顔をそむける」と解釈する。(「向かう」の反対の意味で読むので反訓という。「顔を向ける」とする説もある。)
白文項王乃曰、「吾聞、漢購我頭千金・邑万戸。吾為若徳。」乃自刎而死。
書き下し項王乃ち曰はく、「吾聞く、漢我が頭を千金・邑万戸に購ふと。吾若が為に徳せん。」と。乃ち自刎して死す。
現代語訳項王はそこで言った、「漢は私の首に千金と一万戸の領地の賞をかけていると聞く。おまえに一つ恵みを与えてやろう(私の首で恩賞を得させてやろう)。」と。そう言うと、自分で首をはねて死んだ。
- 購
- 賞金をかけて求める。
- 徳
- 恩恵をほどこす。
- 自刎
- 自分で首をはねる。
「吾為若徳」:どうせ死ぬなら、昔なじみの呂馬童に自分の首をとらせ、恩賞を得させてやろうというのです。
テストで問われるポイント
- 亭長の勧め:①江東は小さくても王となれる土地だ ②船は自分だけが持っているので、漢軍は追ってこられない。
- 「笑」:死を天命として受け入れた落ち着き。
- 江を渡らない理由:①天が自分を滅ぼそうとしている ②江東の若者を死なせ、ひとり帰っては父兄に顔向けできない。
- 騅を亭長に与えた=ここで死ぬ決心をした。「下馬歩行」=死を覚悟した最後の戦い。
- 「面之」=顔をそむけた(旧知の項王をまともに見られない)。
- 「吾為若徳」:自分の首で、昔なじみの呂馬童に恩賞を得させてやろうという思い。
テスト予想問題
A 語句・書き下し文
次の語の読みと意味を答えよ。
①亭長
②長者
③嘗
④故人
⑤自刎解答を見る
①ていちょう/宿場の長
②ちょうじゃ/徳のある人
③かつて/以前に
④こじん/古くからの知り合い
⑤じふん/自分で首をはねること「江東雖小、地方千里」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:江東小なりと雖も、地は方千里。
現代語訳:江東は小さいけれども、土地は千里四方ある。「天之亡我、我何渡為」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。
現代語訳:天が私を滅ぼすのに、どうして渡ったりしようか、いや渡りはしない。「不忍殺之」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:之を殺すに忍びず。
現代語訳:この馬を死なせるのはしのびない。「願大王急渡」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:願はくは大王急ぎ渡れ。
現代語訳:どうか大王様、急いでお渡りください。「漢軍至、無以渡」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:漢軍至るも、以て渡ること無からん。
現代語訳:漢軍がやって来ても、渡る手だてはないでしょう。「縦江東父兄憐而王我、我何面目見之」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:縦ひ江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見えん。
現代語訳:たとえ江東の父兄たちが気の毒に思って私を王にしてくれても、私はどんな顔をして彼らに会えようか、いや会えはしない。「十余創」の「創」と同じ意味で「創」が使われている熟語を一つ答えよ。
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創傷(銃創・満身創痍・絆創膏など)。
B 句法
「縦江東父兄憐而王我」の「縦」と「王」の読みと意味を答えよ。
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縦…読み:たとい 意味:たとえ~としても
王…読み:おう(とす) 意味:王とする、王に立てる「籍独不愧於心乎」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:籍独り心に愧ぢざらんや。
現代語訳:この私は、どうして心の中で恥じずにいられようか、いや恥ずかしくてたまらない。「乃令騎皆下馬歩行」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしむ。
現代語訳:そこで騎兵たちをみな馬から下ろして歩かせた。「若非吾故人乎」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:若は吾が故人に非ずや。
現代語訳:おまえは古くからの私の知り合いではないか。
C 内容の読み取り
亭長が項王に江を渡るよう勧めた理由を、二つに分けて答えよ。
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①江東は小さくても、王となるのに十分な土地と人々があるから。②自分だけが船を持っているので、漢軍は追って渡ることができないから。
項王が江を渡らなかった理由を、二つに分けて答えよ。
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①天が自分を滅ぼそうとしているから。②江東の若者八千人をみな死なせ、自分ひとりが生きて帰っては、江東の父兄に合わせる顔がないから。
項王が騅を亭長に与えたことから、どのようなことがわかるか。
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項王がこの地で死ぬ決心をしたこと。
「吾為若徳」と言ったとき、項王は何を思っていたか。
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どうせここで死ぬのだから、自分の首を昔なじみの呂馬童にとらせ、恩賞を得させてやろうと思っていた。
「於是項王乃欲東渡烏江」とあるが、このときの項王はどのような状況にあったか。
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兵がしだいに減り、漢軍に追いつめられている状況。
「亦足王也」とあるが、亭長は項王にどうすることを勧めているか。
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江東に渡り、そこで王となって再起すること。
「且籍与江東子弟八千人、渡江而西」とは、どのようなことをいうのか。
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項王が江東の若者八千人を率いて長江を渡り、西へ攻め上って天下を争ったこと。
「我何面目見之」の「之」は誰を指すか。
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江東の父兄。
「以賜公」とあるが、誰が誰に何を与えるのか。
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項王が、烏江の亭長に、愛馬(騅)を与える。
項王が騎兵たちに「下馬歩行、持短兵接戦」させたのはなぜか。
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死を覚悟し、最後の戦いをしようとしたから。
「馬童面之」とあるが、呂馬童がそうしたのはなぜか。
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かつて仕えた項王を裏切って漢についた後ろめたさから、項王をまともに見られなかったから。また、項王の悲惨な姿を直視できなかったからとも考えられる。
「吾知公長者」とあるが、項王が亭長を「長者」と呼んだのはなぜか。
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漢軍の報復を恐れず、窮地に陥った自分を救おうとしてくれたから。
「縦彼不言」の「彼」が「言はず」とあるが、項王は江東の父兄が何を言うと考えているか。
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子弟を戦死させたことへの恨みや不満(うらみごと)。