呂翁の不思議な枕によって夢の世界へ入った盧生の一生と、夢から覚めた後の「悟り」を扱います。
前半で盧生は、出世して地位・名声・富を手に入れることこそが「適」――満ち足りた人生だと主張していた。夢の中では、その願いが現実になるが、成功や栄華だけではなく、失脚、投獄、死の恐怖、流罪、復権、老い、そして死まで、人生の浮き沈みをすべて経験する。
夢の中で盧生は栄華を極める
盧生は夢の中で名門・崔氏の娘と結婚し、翌年には官吏登用試験である進士科に合格します。
その後も昇進を続け、地方行政や軍事で功績を上げ、朝廷でも重要な官職を歴任します。
一度は宰相にねたまれて地方へ左遷されますが、再び都へ呼び戻され、ついには宰相となって長く国政を担いました。
盧生が思い描いていた地位・名声・功績を、夢の中では実際にすべて手に入れていきます。
盧生、謀反の疑いで捕らえられる
府吏引従至其門、而急収之。
府吏従を引きて其の門に至り、而して急に之を収へんとす。
役人たちは従者を引き連れて盧生の屋敷までやって来ると、ただちに彼を捕らえようとした。
・府吏…役人。
・収…ここでは「捕らえる」。
生惶駭不測、謂妻子曰、「吾家山東、有良田五頃、足以禦寒餒、何苦求禄。
生惶駭して測られず、妻子に謂ひて曰はく、「吾が家山東に、良田五頃有り、以て寒餒を禦ぐに足りしに、何を苦しみて禄を求めしや。
盧生は思いもよらない事態にひどく動揺し、妻や子供たちに言った。「故郷の山東には、寒さや飢えをしのぐには十分な田畑があった。それなのに、私はどうして官職と俸禄を求めたりしたのだろう。
・惶駭…驚き恐れ、うろたえること。
・五頃…土地の広さを表す。
・寒餒…寒さと飢え。
・禄…官職について得る給与。ここでは、官職や出世を求めることにもつながる。
盧生は、田畑で働く生活を「困」と考えていた。
ところが命を奪われるかもしれない状況になると、故郷には暮らしていけるだけの田畑があったことを思い出す。かつて不満に思っていた平凡な暮らしが、実は安全で穏やかな生活だったと気づき始める。
而今及此、思衣短褐、乗青駒、行邯鄲道中、不可得也。」
而るに今此に及び、短褐を衣、青駒に乗り、邯鄲の道中を行かんと思ふも、得べからざるなり。」と。
「今、このような事態になってみれば、あの粗末な服を着て黒い子馬に乗り、邯鄲への道を歩いていたころへ戻りたいと思っても、もう戻ることはできないのだ。」と。
引刃自刎。其妻救之、獲免。
刃を引きて自刎せんとす。其の妻之を救ひ、免るるを獲たり。
盧生は刃物を取り出して自ら首を切ろうとした。しかし妻が止めたため、命を失わずにすんだ。
・自刎…自分で首を切って死のうとすること。
其罹者皆死、独生為中官保之、減死罪、投驩州。
其の罹る者皆死せるに、独り生のみ中官の之を保するが為に、死罪を減ぜられ、驩州に投ぜらる。
この事件に巻き込まれた者たちは皆処刑されたが、盧生だけは宮中の役人が弁護したため死刑を免れ、驩州へ流されることになった。
・罹者…事件に巻き込まれた者。
・中官…宦官。
・驩州…現在のベトナム方面にあった土地。
数年、帝知冤、復追為中書令、封燕国公、恩旨殊異。
数年にして、帝冤なるを知り、復た追ひて中書令と為し、燕国公に封じ、恩旨殊に異なり。
数年がたつと、皇帝は盧生が無実だったことを知った。そこで再び都へ呼び戻して中書令に任命し、燕国公の位を与えるなど、特別に手厚く取り立てた。
・冤…無実の罪。
・中書令…当時、宰相に相当する重要な官職。
再び栄華を極め、夢の中で一生を終える
復権した盧生は再び権力を握り、一族も大きく栄えます。
子供たちもそれぞれ官職に就き、名門の家々と縁を結び、盧生の家は非常に大きな勢力を持つようになります。
盧生自身も長い年月にわたって高い地位にあり、土地や邸宅など多くのものを与えられました。
しかし年老いると病気になり、ついには夢の中でその長い人生を終えます。
盧生、夢から覚める
盧生欠伸而悟、見其身方偃於邸舎、呂翁坐其傍、主人蒸黍未熟、触類如故。
盧生欠伸して悟むるに、其の身方に邸舎に偃し、呂翁は其の傍らに坐し、主人は黍を蒸して未だ熟せず、触類故のごときを見る。
盧生があくびをして目を覚ますと、自分はまだ宿屋に横になっていた。呂翁もすぐそばに座っている。そして、宿の主人が蒸していた黍さえまだ出来上がっておらず、周囲の様子は眠る前と何一つ変わっていなかった。
・欠伸…あくびをして背伸びをすること。
・偃…横になる。
・触類…周囲のもの。
・如故…以前のままである。
眠る直前に宿の主人が蒸していた黍さえ、まだ出来上がっていなかった。
数十年にも感じられた一生が、現実ではほんの短い時間だった。
生蹶然而興曰、「豈其夢寐也。」
生蹶然として興きて曰はく、「豈に其れ夢寐なるか。」と。
盧生は驚いて勢いよく起き上がり、「あの長い人生は、すべて夢だったのですか。」と言った。
・蹶然…驚いて急に立ち上がるさま。
・夢寐…眠って夢を見ること。ここでは「夢」。
翁謂生曰、「人生之適、亦如是矣。」
翁生に謂ひて曰はく、「人生の適も、亦是くのごとし。」と。
呂翁は盧生に言った。「人が求める幸福や栄華というものも、結局は今の夢のようなものなのだ。」と。
「人生之適、亦如是矣」
生憮然良久、謝曰、「夫寵辱之道、窮達之運、得喪之理、死生之情、尽知之矣。
生憮然たること良久しくして、謝して曰はく、「夫れ寵辱の道、窮達の運、得喪の理、死生の情、尽く之を知れり。
盧生は深い感慨に沈んだまま、しばらく何も言わなかった。そして礼を述べて言った。「人から重んじられることと辱められること、困窮と栄達、得ることと失うこと、そして生と死――人生で起こるこれらすべてを、私は身をもって知ることができました。
・憮然…深い感慨に沈むさま。
・寵辱…人から重んじられることと、辱められること。
・窮達…困窮することと、出世して栄えること。
・得喪…得ることと失うこと。成功と失敗。
盧生が夢の中で経験した四つの対立
- 寵 ↔ 辱…重んじられること ↔ 屈辱
- 窮 ↔ 達…困窮 ↔ 栄達
- 得 ↔ 喪…得ること ↔ 失うこと
- 死 ↔ 生…死 ↔ 生
盧生は夢の中で、単に「成功」だけではなく、人生の正反対の局面をすべて経験したことになります。
此先生所以窒吾欲也。敢不受教。」
此れ先生の吾が欲を窒ぐ所以なり。敢へて教へを受けざらんや。」と。
「このことを私に悟らせ、出世や栄華を追い求める欲望を抑えさせるために、先生はあの夢を見せてくださったのですね。どうしてその教えを受け入れずにいられるでしょうか。もちろん、ありがたく受け入れます。」と。
・所以…~する理由、わけ。
・窒…ふさぐ。ここでは欲望を抑えること。
敢不~…「敢へて~ざらんや」=どうして~しないだろうか、いや、~する。(反語)
稽首再拝而去。
稽首再拝して去る。
盧生は地面に頭をつけるほど丁重に礼をし、さらに深く拝礼して、その場を立ち去った。
・稽首…頭を地面につける、非常に丁重な礼。
・再拝…繰り返し丁寧に礼をすること。
盧生は夢を見て何を悟ったのか
盧生が最初に求めていたのは、出世・富・名声・権力でした。
夢の中でそれらを実際に手に入れますが、栄華の裏には失脚や死の恐怖があり、手に入れたものも永遠には続きません。
そして、夢の中では何十年にも感じられた人生そのものが、目覚めればほんの短い時間の出来事でした。
盧生はこの経験によって、自分が絶対的な価値があると信じていた栄達も、はかなく移り変わるものにすぎないと悟ります。
「邯鄲の夢」「一炊の夢」
邯鄲の夢
人の世の栄華や人生そのものが、夢のようにはかないこと。
一炊の夢
人の一生や栄華が、非常に短く、はかないものであること。
『枕中記』②テスト予想問題
問1 盧生が「何苦求禄」と後悔したのはなぜか。
問2 「人生之適、亦如是矣」を書き下し文にし、現代語訳しなさい。
現代語訳:人が求める幸福や栄華も、結局はこの夢のようなものだ。